人間国宝 五代・伊藤赤水
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オンライン・ギャラリィ
2007年 文化庁世界文化遺産の暫定リストに記載が決定 1989年 鋼量枯渇のため採掘中止 1943年 金山整備令により採掘縮小 1896年 三菱合資会社に払い下げ 1889年 帝室財産となり宮内省御料局に所属 1868年 佐渡奉行所を廃止し明治政府の所管となる 1778年 無宿人が江戸から送られ、水替人足としての使役が始まる 1761年 佐渡極印銀を吹き潰し、文字銀を用いる 1714年 佐渡金山の銅で銅銭を鋳造 1700年 佐渡遠流の制が廃止 1675年 金銀山大盛りのため、多くの金穿り大工が来国 1648年 新穂滝沢銀山大盛り 1621年 佐渡で小判の製造開始 1610年 高千鉱山が幕府直営により開発 1603年 江戸幕府開設 佐渡奉行(正しくは代官)大久保町安の管轄となる 1601年 鶴子銀山の山師3人により相川の佐渡金銀山発見 1586年 豊臣統一政権 佐渡の支配を上杉景勝に命じる 1541年 佐渡国鶴子銀山発見 西三川砂金と越後上杉家の宝庫 平安末期 今昔物語集に記載 佐渡の金銀山 概略
平成22年3月31日
開設
歴代主要作品
五代・伊藤赤水 作品
1990年代の作品
2000年代の作品
2010年代の作品
初代・伊藤赤水 作品
二代・伊藤赤水 作品
三代・伊藤赤水 作品
四代・伊藤赤水 作品
佐渡金山と無名異焼
佐渡金山と無名異焼

佐渡ヶ島の金山といえば、江戸幕府の財政を支えた相川の「佐渡金銀山」が有名です。

佐渡ヶ島の無名異焼は、佐渡金山の坑道から産出される無名異を陶土に混ぜてつくられています。

また、佐渡金山発見により、たくさんの人々が島外からやってきたことにより、当初は島外から買い付けていた器を島内でつくるようになったということからも、佐渡金山と無名異焼は深いつながりがあるといえるでしょう。


佐渡金山 道遊の割戸
佐渡金山と佐渡ヶ島

佐渡の金について、確認できる古い資料は平安時代末期に成立したと推測される「今昔物語集」です。
*「今は昔の物語 第26巻第15話」能登国堀鉄者、行佐渡国堀金語

この「今昔物語集」で書かれている金は、佐渡金山ではなく、西三川の砂金のことだといわれています。

1541年ころに鶴子銀山が発見され、澤根の鶴子銀山と新穂の新穂銀山の採掘もはじまりました。
西三川砂金と鶴子銀山は、越後上杉家の宝庫であったとも、それほどの量が採掘されていたわけではないとも言われています。
佐渡金山が発見されるまでの佐渡ヶ島は、米と海漁以外にめぼしい生活手段のない寒村だったという話もあります。


16世紀中ごろから17世紀にかけて、戦国大名の資源開発策により、全国的に金銀山の開発が行われました。
1586年、豊臣秀吉が太政大臣になると、上杉景勝に佐渡の支配を命じました。
1595年に石見国より山師がきて、このころから最初の繁栄期をむかえます。

関が原の戦いの翌年(1601年・慶長6年)、鶴子銀山の山師3人が相川の佐渡金銀山を発見。これが徳川幕府の財政を支え「わが国最大の金銀山」といわれた佐渡金山です。

この佐渡金銀山が発見されると、鉱山の技術者、労働者、問屋など商品売買の仲立人など、島外からたくさんの人々がやってきました。
佐渡金山の労働者というと、無宿人や犯罪者というイメージがありますが、無宿人が江戸から水替え人足として佐渡に送られ始めたのは、これより170年以上後のこと(1778年)で、凶悪な犯罪者は管理が大変なため、金山の労働者としては適当ではありませんでした。

 *このころ佐渡に渡ってきた人々の一例*
 鉱山の労働者・・・複数の寺と門徒や他藩の百姓など
 山師・・・労働者を統括
 職人・・・表具師、蝋燭屋、紙漉、陶磁師、鍛冶、金物細工師、石工、畳屋、足袋屋、仕立屋、大工、漁師など
 物資の交易・・・往来した商人
 鉱山町を治める役人
 等など


佐渡金山の繁栄によって、鉱山用の資材、膨張した人口の生活資材の需要が急増し、島内ではまかないきれず、様々な物資が運び込まれるようになり、宿泊施設、寄港船や入港船に対してのサービス提供、娯楽・休憩の場などもでき、佐渡金銀山は空前の繁栄となりました。

 *このころ佐渡に運び込まれた物資の一例*
 鉱山用資材・・・莚、鍛冶炭、たがね、鉄、げんのう、ろうそく、牛皮、紙、留木、精錬用の炭、油など
 生活資材・・・米、檀紙、砂糖、酒、くつ、衣類、みかん、伊万里焼、唐津など



佐渡金山と焼き物、そして無名異焼

佐渡金山が発見されると、佐渡は金山景気にわき、多くの人々が佐渡にやってきました。そのため、器などの日用品の需要も高まり、伊万里焼などの瀬戸物が大量に北前船で運ばれてきましたが、佐渡で製造される焼き物はしばらくありませんでした。

佐渡で一番古い窯元は、赤水窯の祖である「羽口屋」です。加賀から渡ってきた伊藤伊兵衛の子甚兵衛(羽口屋初代・1674年)の代から、金山で使われる送風口(羽口)のほかに、素焼きの日用品を製造し始めました。

その後、江戸の小判製造家元の出張員が製陶の経験を生かし「高田窯」を築いて皿などを焼き、寺の住職が楽焼で香炉や茶碗などを製造し、その50年後くらいに金太郎焼が創始、羽口屋分家窯(後の赤水窯)、菊地窯・・・と、たくさんの窯が築かれました。

1800年代にはいると、佐渡金山から産出される「無名異(むみょうい)」が発見され、切り傷や火傷の際の止血剤として販売されました。

無名異焼は1840年ころ、羽口屋七代甚兵衛が、その無名異を陶土に混ぜて茶碗などを焼いたことからはじまりますが、このころは低温で焼成していたため、耐久性に乏しい焼き物であったと言われています。

明治にはいってから、三浦常山(初代常山窯)と、伊藤赤水(初代伊藤赤水)が、無名異焼を高温で硬く焼成するのに成功し、このころから「無名異焼」の名が定着しはじめたと言われています。
  西暦 年号 日本 佐渡金銀山 伊藤家 赤水窯



1338 延元3年 足利尊氏が征夷大将軍に任ぜられる 1120年〜1449年成立
今昔物語集(今は昔の物語)第26巻第15話に佐渡の金が記載されているが、これは佐渡金山ではなく、西三川の砂金のことだと言われている。
   
1392 元中9年 南北朝の合一
1399 応永6年 応永の乱
1428 正長元年 正長の土一揆
1429 永享元年 播磨の土一揆
1460 寛正元年 寛正の大飢饉  
1462 寛正3年 山城の土一揆 京畿の土一揆 西三川砂金山の採掘開始といわれる
1463 寛正4年 京都の土一揆  
1467 応仁元年 応仁の乱  
1485 文明17年 山城の国一揆  
1488 長享2年 加賀に一向一揆  
1531 享録4年 加賀に一向一揆  
1532 天文元年 法華一揆、山科本願寺を焼く 天文年間
鶴子銀山で金鉱石が見つかり採掘される。

1541年
佐渡国鶴子銀山発見、西三川砂金と越後上杉家の宝庫

 あるいは

1542年
澤根の鶴子銀山が発見開発(佐渡金銀山の本格的採掘の始まり)

また、新穂銀山でも採掘が始まったという
1533 天文2年 石見の大森銀山を開発
1534 天文3年 紀伊に惣国一揆成立
1536 天文5年 天文法華の乱
1538 天文7年 国府台の戦い
1539 天文8年 陸奥会津に百姓一揆
1540 天文9年 諸国に悪疫流行
1541 天文10年 ポルトガル船、豊後に漂着
1543 天文12年 鉄砲の伝来
1544 天文13年 ポルトガル船、薩摩に貿易を求める
1549 天文18年 キリスト教伝来
1550 天文19年 ポルトガル船、平戸に入港
1551 天文20年 ポルトガル船、豊後に来航
1552 天文21年 ポルトガル船、鹿児島に来航
1553 天文22年 川中島の戦
1560 永録3年 桶狭間の戦  
1568 永録11年 織田信長入洛  
1573 天正元年 室町幕府の滅亡  





1575 天正3年 長篠の戦  
1582 天正10年 本能寺の変、山崎の戦い  
1583 天正11年 賎ケ岳の戦  
1585 天正13年 秀吉が関白となる  
1586 天正14年 秀吉が太政大臣になり、豊臣の姓を与えられる 秀吉が佐渡の支配を上杉景勝に命じる
1590 天正18年 秀吉が全国統一  
1592 文禄元年 文禄の役  
1595 文禄4年 太閤検地おわり、税法定まる 鶴子銀山、石見国より山師が来て繁栄する。
1598 慶長3年 秀吉が死ぬ  
1600 慶長5年 関ヶ原の戦い  
1601 慶長6年 徳川家康、東海道に伝馬制度を設ける 鶴子銀山の山師3人が相川の佐渡金銀山を発見
1602 慶長7年 家康、東本願寺を創建 金銀山大盛り



1603 慶長8年 徳川家康が征夷大将軍となる 大久保長安の佐渡代官として実施した直山制の採用により、佐渡金銀山は空前の繁栄となる
1605 慶長10年 家康が、将軍職を秀忠にゆずる 相川で水銀精錬(アマルガム精錬)を行う
1609 慶長14年 オランダと貿易開始  
1610 慶長15年 スペインに通商を許可 高千鉱山が幕府直営により開発
1614 慶長19年 大阪冬の陣 金銀山への物資の公給が停止される
1615 元和元年 大阪夏の陣、豊臣氏滅亡  
1616 元和2年 家康が死ぬ 出雲崎が徳川氏直轄領となり、佐渡の金銀を出雲崎に運ぶ基礎ができる
1618 元和4年 外国船貿易港を長崎・平戸に制限 鎮目市左衛門・竹村九郎右衛門が、佐渡奉行に任ぜられる
相川の吹分床屋が完成
1619 元和5年   西三川砂金山、請山となる
1621 元和7年 このころ、シャム、インドシナ、ルソンなどに日本人町が栄える 佐渡で小判の製造開始
1622 元和8年   金銀山大盛り
1624 寛永元年 スペイン船の来航を禁止  
1626 寛永3年   水金沢から割間歩までの水貫間切の工事が始まる(寛永15年に完成)
1627 寛永4年   内藤重次を諸国金銀奉行に任じ、鉱山の開発を奨励
1629 寛永6年   沢根より下戸へ通じる中山街道が開通
1633 寛永10年 鎖国令(奉書船以外の海外渡航を禁ず) 金銀山の出方が衰える
1634 寛永11年 鎖国令(海外往来・通商制限) 割間歩の水敷に毎10日に1万荷の鉱石を産出
1635 寛永12年 参勤交代制度確立
鎖国令(渡航禁止)
上納銀1992貫、砂金357匁、筋金は佐渡で小判に吹き立てる
1636 寛永13年 鎖国令(ポルトガル人を長崎出島に移す) 洪水で相川の割間歩が冠水
1637 寛永14年 島原の乱 水上輪の作り方を伝授される
1639 寛永16年 鎖国令(ポルトガル船の来航を禁止)  
1641 寛永18年 鎖国令の完成(オランダ人を長崎の出島に移す)  
1643 寛永20年 田畑永代売買禁止令 金銀山衰える
1647 正保4年  
1648 慶安元年 私鋳銭を禁ず 田畑の永代売買を禁ず 新穂滝沢銀山大盛り
1650 慶安3年   銀山割間歩大盛り
1651 慶安4年 慶安事件 金銀山衰える
1652 承応元年 承応事件  
1655 明暦元年 糸割符制廃止、長崎貿易を相対貿易とする  金銀山が衰微
1663 寛文3年 武家諸法度改定 割間歩の稼ぎを止める
1666 寛文6年   翌年にかけて他国出を許可
1670 寛文10年 箱根用水竣工   このころ、加賀から伊兵衛が佐渡に渡る
1671 寛文11年 河村瑞軒が東回り航路をひらく 金銀山御直山となり、後9ヵ年の間大盛り  
1672 寛文12年 河村瑞軒が西回り航路をひらく    
1674 延宝2年 風水害あり飢饉となる   伊兵衛の子、甚兵衛が窯を築き、フイゴの羽口や素焼きの日用品を製造。
■羽口屋(甚兵衛焼)・・・佐渡の陶祖
1675 延宝3年   金銀山大盛りのため、多くの金穿り大工が来国 四代伊兵衛
(伊兵衛から五代目)
からは茶碗や皿などを製造


六代甚兵衛
は雲山焼を創始
羽口屋三代(伊兵衛から四代)の長男文四郎
が下戸(おりと)に別家を創立し、陶器製造を専業とした窯を築く。

■羽口屋分家窯・・・後の赤水窯
1686 貞享3年   諸銀山繁昌
1691 元禄4年 住友友芳、別子銅山開発  
1695 元禄8年 金銀貨の改鋳 幕府、諸国の鉱山採掘を奨励
1696 元禄9年   南沢疎水道完成
1700 元禄13年 金銀銭の比価を定める 佐渡遠流の制が廃止
1701 元禄14年 神殿金山を開掘、谷山錫山薩摩藩直轄 鳥越・青盤・雲子の諸間歩大盛り
1702 元禄15年 赤穂浪士のあだ討ち 鳥越間歩盛況
1706 寶永3年 宝字銀を鋳る  
1709 寶永6年 正徳の治 大須村の宗五郎間歩で水を汲み取り再興
1713 正徳3年 諸国に養蚕・製紙を奨励 柄上銀を灰吹銀と、また後藤札を印銀札と改め、以後、印銀勘定となる
1714 正徳4年 密貿易を禁止 佐渡金山の銅で銅銭を鋳造
1716 享保元年 吉宗が8代将軍となる
享保の改革
 
1722 享保7年 上げ米の制、参勤交代をゆるめる   
1723 享保8年 足高の制を定め、人材を登用 幕府より、佐渡金銀山の銀運上高が減っているので、直山制から請山制にするよう命じられた(翌年撤回)
1730 享保15年 上げ米の制停止 参勤交代復旧 鶴子銀山百枚間歩が御直山となる
1732 享保17年 享保の大飢饉  
1736 元文元年 正徳金銀を改鋳  
1743 寛保3年   7月より鶴子間歩を休山とする
1746 延享3年 長崎貿易制限強化 相川町に銅床屋を建て、鉛鏈を問吹き
1751 宝暦元年 吉宗が死去  
1761 宝暦11年 旗本・御家人の俸禄米を買い入れて米価調節をはかる 佐渡極印銀を吹き潰し、文字銀を用いる
1763 宝暦13年 江戸神田に朝鮮人参座創設 銅山鶴子百枚間歩を稼ぎ始める
1765 明和2年 五匁銀新鋳 オランダ船からはじめて金銀銭を輸入  
1768 明和5年 佐渡に一揆おこる 朝鮮へ銅20万斤を輸出
1769 明和6年   西三川砂金山崩落、稼ぎを止める
1770 明和7年   佐渡の銅銭が払底
1778 安永7年 ロシア船、国後島来て、松前氏に通商要求 無宿人が江戸から送られ、水替人足としての使役が始まる
1782 天明2年 天明の太飢饉 大野川より砂金が出る
鳥越間歩大盛り
1783 天明3年 浅間山大噴火 オランダ水突道具を銀山青盤間歩の水揚げに使用
1793 寛政5年   鶴子百枚間歩の稼ぎを止める
1801 享和元年   入川村鉛山の試し稼ぎ開始
1813 文化10年 信濃善光寺で打ち壊し 入川村鉛山御直稼ぎ中止
1819 文政2年     羽口屋七代甚兵衛・茶碗作りを研究し、後に名手として広く知られる。
1825 文政8年 外国船打払い令    
1828 文政11年 シーボルト事件    
1833 天保4年 天保の大飢饉    
1837 天保8年 大塩平八郎の乱、生田万の乱、モリソン号事件    
1839 天保10年 蛮社の獄   羽口屋七代甚兵衛が、無名異を陶土に混ぜて楽焼をはじめる 1838年〜1899年(初代赤水)


羽口屋分家窯五代(伊兵衛から九代)の富太郎(初代赤水)は明治に入り、本家七代甚兵衛の着想から暗示を得て無名異焼きを創始(無名異を陶土に混入し、高温で焼成することにより硬くて耐久性のある品をつくる事に成功)、後に赤水窯と称した。
1841 天保12年 天保の改革    
1844 弘化元年 オランダ、国書を持つて開国を勧告  
1849 嘉永2年 アメリカ艦長崎 イギリス艦浦賀に来る  
1853 嘉永6年 ペリー来航  
1858 安政5年 修好通商条約  
1859 安政6年 安政の大獄  
1860 万延元年 桜田門外の変  
1861 文久元年 公武合体運動を献議  
1862 文久2年 生麦事件  
1863 文久3 薩英戦争  
1864 元冶元年 蛤御門の変、下関事件、
長州征伐(第一次)
 
1865 慶応元年 長州征伐(第二次)  
1866 慶応2年 薩長連合  
1867 慶応3年 大政奉還、王政復古の大号令  

1868 明治元年 五箇条の御誓文、江戸城開城、戊辰戦争、一世一元の制 1月:幕府雇用のイギリス人鉱山技師が火薬発破法を伝える
4月:佐渡奉行所、筋金所・材木町番所・水替役所・間山番所が廃止
1869 明治2年 版籍奉還 佐渡金銀山が政府直営の佐渡鉱山となる
1870 明治3年 平民に苗字を許す 佐渡鉱山で失業者が多くなる
1871 明治4年 廃藩置県、郵便制度  
1872 明治5年 義務教育の開始、新橋と横浜の間に鉄道が開通、太陰暦を廃止して、太陽暦を用いる 西三川砂金山、閉山
1873 明治6年 徴兵令、地租改正条例が公布  
1878 明治11年   明治8年から建設工事を始めた大立竪坑が完成
1881 明治14年 国会開設の詔
1882 明治15年 大隈重信が立憲改進党をつくる 洋式技術の導入で鶴子銀山再開
1885 明治18年 太政官制度を廃止、内閣制度へ 佐渡鉱山は工部省から大蔵省へ所管換え
1887 明治20年 東京に電灯がつく 鉱石運搬用に高任選鉱場と大間港の間を日本で始めての空中ケーブル(蒸気機関動力)でつないだ
1889 明治22年 大日本帝国憲法発布
東海道線が全線開通
佐渡鉱山を帝室財産とする
1890 明治23年 第1回衆議院議員選挙
第1回帝国議会
高任選鉱場が稼働、鉱山学校が開設
1891 明治24年 森鴎外が「舞姫」を発表 相川間山にアマルガム精錬により金銀を抽出する搗鉱精錬所が完成
1892 明治25年   佐渡鉱山専用の相川町大間港が完成
1893 明治26年   鶴子百枚・弥十郎坑を再開発
1894 明治27年 日清戦争(〜1895)  
1895 明治28年 下関講和条約、三国干渉  
1896 明治29年 日清通商航海条約 佐渡鉱山が三菱合資会社に払い下げ
1897 明治30年 金本位制実施
八幡製鉄所ができる(1901年から作業開始)
 
1899 明治32年 改正条約実施、治外法権撤廃 鉱山労働者が暴動を起こす
1900 明治33年 治安警察法、義和団の乱に出兵 新潟県で最初の水力発電所、高任発電所が稼働 現在は、五代目。
五代・伊藤赤水は2003年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2005年には、紫綬褒章を受章している、。
1902 明治35年 日英同盟  
1904 明治37年 日露戦争(〜1905)  
1905 明治38年 ポーツマス条約  
1906 明治39年 南満州鉄道株式会社  
1908 明治41年   相川北沢に佐渡初の火力発電所が完成
1909 明治42年 伊藤博文暗殺  
1910 明治43年 韓国を併合  
1911 明治44年 関税自主権の回復
不平等条約改正
三菱合資会社が入川鉱山を買収

1912 大正元年 第一次護憲運動 大立坑内に電力によるポンプを新設
入川鉱山、立島鉱山を合併し高千鉱山と称す
1914 大正3年 第一次世界大戦、日本も参戦
世界大戦の影響で好景気になる
大間港に起重機を設置
1915 大正4年 中国に21か条の要求を出し、満州へ手をのばす 戸地川第一発電所稼働
1918 大正7年 富山に米騒動 戸地川第二発電所稼働
1919 大正8年 パリ講和会議 佐渡鉱山で、鑿岩機を使用
1920 大正9年 国際連盟に加入(常任理事国)  
1921 大正10年 四カ国協定(日・英・米・仏)を結び、日英同盟を破棄  
1923 大正12年 関東大震災  
1925 大正14年 普通選挙法が成立、治安維持法、ラジオ放送が始まる  

1928 昭和元年 京都学連事件に初の治安維持法適用  
1928 昭和3年 張作霖爆死 高千鉱山、入川の電力発電所により電力化
1929 昭和4年 世界恐慌 佐渡鉱山、相川で浜石の採取を始める
1931 昭和6年 満州事変  
1932 昭和7年 五・一五事件 佐渡鉱山で浮遊選鉱を開始
1933 昭和8年 国際連盟を脱退  
1936 昭和11年 二・二六事件  
1937 昭和12年 日中戦争 戦略物資調達のため高千鉱山が大増産
1938 昭和13年 国家総動員法が制定 重要鉱物増産法公布
1939 昭和14年 第二次世界大戦が始まる
アメリカ通商条約破棄通告
 
1940 昭和15年 日独伊三国軍事同盟 相川北沢に東洋一とうたわれた浮遊選鉱場が完成
大間港に火力発電所を建設
1941 昭和16年 太平洋戦争(〜1945)  
1943 昭和18年 大東亜宣言、学徒出陣 全国的な金山整備が始まる
高千鉱山閉山。佐渡鉱山、銅鉱の採掘に転換
1945 昭和20年 無条件降伏  
1946 昭和21年 天皇が年頭詔書で人間宣言
日本国憲法公布
鶴子銀山閉山
1947 昭和22年 労働基準法、児童福祉法、教育基本法、学校教育法、独占禁止法公布  
1950 昭和25年 朝鮮戦争  
1951 昭和26年 サンフランシスコ平和条約
日米安全保障条約
 
1952 昭和27年   佐渡鉱山を大縮小
1977 昭和52年 日航機ハイジャック 戸地発電所閉所
平成 1989 平成元年 消費税開始 3月末、佐渡鉱山が操業を休止し事実上閉山
*「佐渡金銀山」欄は 佐渡市教育委員会のサイト「金と銀の島、佐渡」佐渡の金銀山関連年表ページの一部を参考にさせていただきました。


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